こんにちは、松波慶次です。
今回ご紹介するのは、『そして、死刑は執行された』という、元死刑囚世話係の著者が綴る死刑囚の姿、刑務所での生活を知ることができる1冊です。
タイトルからして暗そうですが、意外とおちゃめなエピソードが多かったのには驚きました。
以下ネタバレ注意です!
タイトル:そして、死刑は執行された
著者:合田士郎
あらすじ
時は昭和36年。強盗殺人事件で死刑を求刑された著者、合田士郎(ペンネーム)は、死刑を免れ、無期懲役囚として服役した。
遺族への謝罪の気持ち、家族への申し訳なさなどから真面目に刑を務める著者の姿が看守によく映ったのか、徐々に受刑者としての級をあげていく。そんななか、死刑囚の世話係になり、死刑執行後の遺体清掃の役も担うことになった。
著者が仮出所するまでの15年間で見て、聞いて、感じた、刑務所のなかの情景と死刑囚の姿や、著者自身や受刑者たちのそれぞれの思いが綴られている。
感想
「人の命を身勝手に奪っておいて、人権を叫ぶなんて」……。
著者がいた刑務所は、他人が用を足している便所の横でご飯を食べたり、ゴザしか支給されていなかったりして、言ってしまえば、劣悪な環境だった。その環境に対し、「人権がない」というのは「人の命(人権)を奪っておいて」という気持ちが湧いたが、それでも、遺族の手紙を読んで泣いたり、後悔の念に苛まれたりしている心情を知ると、「受刑者も人なのだ」と思ってしまう。
本当に罪を犯して服役している者。当時の警察にありがちだと思える、現場保全や初動捜査の遅れからの自白強要や証拠隠滅、捏造などで冤罪で服役している者。
無実を訴えながらも死刑判決され、生きた心地がせぬまま刑務所生活を送る受刑者の気持ちを、他人が分かることなどあろうか。「分かるよ」と言うことなどできない。分かりっこないんだから。それほど、絶望的状況だろう。
冤罪が発生するのは、前述した自白強要などもあるだろうが、無実の証拠が揃った場合でも、司法がメンツを気にし、覆さないことが考えられる。人ひとりの人生を生かすか殺すかの判決で、メンツなど気にされていたら堪らない。いまの司法は、冤罪を生まないために誠実に機能していてほしいと願ってしまう。
作中には、多くの受刑者が登場する。そのなかから数人と、事件名を挙げる。
・平沢貞道……帝銀事件
・佐藤誠……東京牟礼事件
・赤堀政夫……島田事件
1992年生まれの私にとって、知らない名前や事件だった。そこでちょっと調べてみると、それぞれの事件の概要は次のとおりだった。
・帝銀事件……帝国銀行の行員が青酸化合物を飲まされ、12名が死亡。現金が奪われた事件。(1948年)
・東京牟礼(むれ)事件……不動産関係の殺人・死体遺棄事件。東京三鷹市の牟礼で遺体が発見された。(1950年)
・島田事件……静岡県島田市で起きた幼女誘拐殺人、死体遺棄事件。(1954年)
いずれの方々も無実を訴えたり、証拠が不十分だったりしたのに長年刑務所に入れられ、赤堀氏は無罪釈放されたが、平沢氏と佐藤氏は刑務所内で病死した。冤罪かもしれない人が日の目を見ずに不条理に命を終えるのは、なんともやりきれない。
ほかにも、雅樹ちゃん誘拐殺人事件、小松川女子高生殺人事件などの受刑者が登場している。
死刑の状況も詳細に書かれていて、やはり「死」を前にすると誰でも恐怖するのだと分かる。でも、それは「被害者」だって同じだ。突然命の危機にさらされるなんて、恐怖でしかない。
本作は、心が苦しくなるようなエピソード以外も綴られている。たとえば、用意されるご飯が少なすぎて、刑務所敷地内の魚や鳥を捕まえて食べる話や、スズメを飼う話。女囚との、なんとまぁここには書けないような話もあった。
明治監獄法に則って、米4:麦6の割合にするために、麦の生産が少ない日本で調達するのではなくわざわざ輸入しているという話には、苦笑しつつ呆れた。
受刑者同士が意外と仲良いのには、驚いた。受刑者同士、殺伐とした雰囲気だと思っていたから、魚や鳥を捕まえるのもみんなで協力してやっているので(もちろん看守に見つからないように)、想像してなんだか和んだ。
それに、死刑を免れた受刑者に対して「おめでとう」と言える死刑囚たち。自分は助からないかもしれないのに、助かった相手を妬むでもなく、暴言を吐き喰ってかかるのでもなく、「おめでとう」と言って握手して見送る。温かい。
受刑者たちの集団散歩時に差し入れをする住民。「頑張ってください」と言える住民。私にできるだろうか? つい考えてしまった。
罪を犯し、ましてや命を奪うなんて許されない行為だが、それでも、受刑者も「人」なのだと感じることができる。刑務所の中の生活や受刑者たちの気持ちを知りたい人、司法の在り方について考えたい人におすすめの1冊。