こんにちは、松波慶次です。
今回ご紹介するのは、ノンフィクション小説『でっちあげー福岡「殺人教師」事件の真相ー』です。
以下ネタバレ注意です!
タイトル: でっちあげー福岡「殺人教師」事件の真相ー
著者:福田ますみ
あらすじ
耳が千切れて化膿、「死ね」などと自殺強要……教師による生徒への「いじめ」がマスコミや世間を騒がせ、民事訴訟を起こした被害者側には550人もの大弁護団がついた。
重篤なPTSDを発症したとされる被害生徒。弁護団も世間も「殺人教師」であることを疑わず、執拗にバッシング、本名や顔写真までも公開した。
しかし、教師は「やっていない」と否定。ようやく依頼できた弁護士2人とともに、無実を公にするため裁判に踏み出す。
被害者側が言っていることが正しいのか、教師の言っていることが正しいのか。先入観や利己心、「正義」に捉われた人々を描くノンフィクション小説。
感想
「でっちあげ」られていく、まさに「魔女狩り」のような状況に、裁判まではムカムカが止まらない。常に胸糞悪くて、どんよりとしたものが胸のあたりにあった。
そして、この作品からは教訓がいくつもある。
- やってもいないことを認めるべきではない
- メディアは真実を報道すべきであり、間違った内容はきちんと訂正報道もすべきである
- 報道がすべて正しいわけではない、何事も頭から信じない
- 間違っていることは「間違っている」と、立場に関係なく言う
やっていないことを「丸く収めるため」に謝罪した結果、「一度認めた」とのちのちまで言われてしまうようになる。認めたら、「認めた事実」が発生してしまう。
やっていないことは、「やっていない」ときっぱり否定すべき。それは、自分を守るために必要なこと。学校や校長を守るためなどと考えていると、あっさり裏切られたときに自分の身だけが危うくなるだけだ。
メディアは、真実を報道すべきである。また、真実かどうか分からない場合は、客観的な表現や報道を心がけるべきであり、断定をすべきではない。メディアの力は大きい。TVやネットニュースで流れると、それを目にした人はそれが「真実」だと思ってしまう。
メディアが人々に与える影響や恐ろしさをきちんと理解したうえで、上手に活用すべきだ。そうしないと、虚偽報道によって多くの人が苦しむことになる。その責任は、メディアは負わない。報道したらしたで、あとは知らん顔。
虚偽報道をしたら、謝罪をして、真実を報道すべきだ。盛り上がる部分だけ報道したら、それで終わり。その後の経過や、真実を改めて流すことはしない。間違った報道をされた側は、堪ったものじゃない。
「やっていないことを認めない」にも通じることだが、「間違っていることを間違っていると言う」ことも大いに重要だ。
今作の事件は、学校と保護者という、保護者の方が「強者」となってしまうであろう構図がある。そして、学校側の「譲歩」という態度。校長や教頭の、「保護者には歯向かわない」「さっさと謝罪して丸く収める」という、その場しのぎの処世術が、大きな事件となった(しかも、校長や教頭はほとんど重大な被害を受けていない)。
これは「学校と保護者」「教師と保護者」に限らず、「上司と部下」「会社と社員」「客と店員」など、多くの「それぞれの(強い・弱い)立場」がある。
強い立場の者に何かを言われたらすぐに認め謝罪するのではなく、事実確認をし、言っていることが間違っているのなら「間違っている」のだと、きちんと示すべきなのだ。
そうすることが、真実の隠ぺいを防ぎ、強者を絶対的な強者にさせないことに繋がるのではないだろうか。
この事件を知っている人、聞いたことがある人には、ぜひ読んでいただきたい作品である。