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【愛の挨拶 馬車 純粋小説論】思考する登場人物と思考する読者

こんにちは、松波慶次です。
今回ご紹介するのは、『愛の挨拶 馬車 純粋小説論』です。

この作品は……難しい。それゆえに、以下にある「感想」は私の感じたことや考えをまとめた内容になっているため、丁寧語使用ではありません。その点ご承知おきください。

以下ネタバレ注意です!

タイトル:愛の挨拶 馬車 純粋小説論
著者:横光利一

目次

あらすじ

酔客を轢死させてしまった踏切番の男を判事が尋問する。しかしその尋問は、果たして「真実を知ろうとしている」のか、「男に悪意を持って真実を曲げさせようとしているのか」――『マルクスの審判』。

ネームプレート工場で働く私と先輩の軽部、のちに入ってきた後輩の屋敷。工場の秘密を盗もうとしている、と私と屋敷は軽部に疑われるが、私はその状況を楽しむこともあり――『機械』。

その他、評論『新感覚論』、『純粋小説論』、短編、戯曲を含んだ作品集。

感想

はっきり言って、感想を述べるのは難しい。

横光利一氏の作品は初読みで、合う・合わないという話で言うなら、私には「合う」作品だった。

ただ、読むのが難しい。ストーリーが難しいのかと聞かれるとそういうわけではないと思うのだけれど、それは文章に段落や間がないから難しいのかと思うと、それも少し違う気がする。

段落や間がないことは、確かに読みづらい。それでいて一文が長く読点もほとんどつかないため、目と頭が常に作動し、入ってきた情報を整理しようとする。

しかも整理しようとする情報は情景描写だけでなくて、登場人物たちの思考も含まれている。

ただの安直な思考ではなく、「相手がこう考えているからこうしてやろう」、「でもこうも考えられるから自分の行動は相手にとって~」と逐一丁寧に垂れ流された二転三転する思考のため、情報整理の中に念入りな思考の整理も加わり、一息つく隙がない。

そのような諸々の事情があり、「読むのが難しい」となった。そして、「感想を述べるのが難しい」というのも、「登場人物たちの思考の荒波」に呑まれ続け、読後の感情をはっきりと言い表せる言葉が見つからない。

はっきりとは言い表せないが、感じていることをただ言うなれば、「心はバラバラしているけれど充足している」になる。

「面白かった」よりも「充足している」のほうが、私の読後感にぴったりな言葉だ。

『マルクスの審判』、『頭および腹』、『機械』、『馬車』が個人的に印象深く残っている。その中でも『マルクスの審判』『機械』はより印象深い。

『機械』について言えば、横光氏が作品に思考を与え、語り手がその思考をもとに言葉(言語)にして主人公を動かしているのでは……と考えてしまう。主人公はただ言語を与えられて動いているだけというか……難しい。だが、思考することは楽しいし、考えれば考えるほど(作品が)面白く感じられる。

「読むのが難しい」ため一作一作読了するのに時間はかかるが、その時間もやはり「充足していた」作品集だった。