【蜘蛛の糸・杜子春】エゴイズムが身を滅ぼす!”人間”にとって大切なこととは?

こんにちは、松波慶次です。
今回ご紹介するのは、文豪・芥川龍之介の『蜘蛛の糸・杜子春』です。

15年以上ぶりに再読しました。

以下ネタバレ注意です!

タイトル:蜘蛛の糸・杜子春
著者:芥川龍之介

あらすじ

地獄の様子を見ていたお釈迦様は、悪事ばかり働いていた犍陀多(カンダタ)という男を発見した。犍陀多が一匹の蜘蛛に慈悲を与えたことを思い出し、蜘蛛の糸を一本垂らせて地獄から救い出してやろうとするが――『蜘蛛の糸』。

杜子春は一文無しで、今日寝る場所にも困っていた。そこへ、1人の老人が現れ金が手に入る方法を伝えてくる。その通りにすると、金が手に入り杜子春は大金持ちになった。しかし、金遣いが荒くすぐにまた一文無しに戻る。すると、また老人が現れて――『杜子春』。

表題作他8作収録。

感想

この本を最初に読んだのは、もうかれこれ15年以上前です。私にとって初めての芥川作品で、初めてのいわゆる文豪の小説でした。

当時読んだとき、「芥川龍之介おもしろい! 読みやすい」と思い、そこから芥川のファンになりました。

改めていま読み返してみても、人間の感情や「人間とは」という部分がとても上手に描かれていて、楽しめました。

表題作にもある『蜘蛛の糸』は、有名なお話ですよね。犍陀多が喜んで蜘蛛の糸を掴み地獄から登っていくと、他の罪人たちも蜘蛛の糸を掴んで、一緒に登っている。

このままでは蜘蛛の糸が切れてしまうと思った犍陀多は、蜘蛛の糸を独り占めしようとする。その途端、蜘蛛の糸は切れ、犍陀多は他の罪人もろとも地獄に逆戻りしてしまう。

エゴイズム(利己主義)にならなければ、地獄から抜け出せたのに。人間の醜い部分とその成れの果てをわずか5ページで描く、皮肉な作品です。

『杜子春』は、貧乏と大金持ち両方を経験し、貧乏のときは見向きもせず、金持ちのときはすり寄ってくる、そんな周りの人間の浅ましさに嫌気がさして老人に「仙人になりたい」と弟子入りを申し込みます。

仙人になりたければ一言も口を聞くな、と命じられ、魔性があの手この手で杜子春の口を開かせようとするのを、必死に耐えます。

しかし、馬となった父母が痛めつけられ、母が杜子春のことを大事に思う気持ちを述べたとき、ついに杜子春は「お母さん」と口を聞いてしまいます。

結果、杜子春は仙人になれなかったですが、ヒトの心を持てたままでいられて、後悔はありません。老人は、杜子春が口を開かなかったら殺そうと思っていたと言い、優しい杜子春に家と畑を与えました。

自分が杜子春だったら? とつい考えてしまう、人間の薄情さ、親子の愛が描かれた作品です。

他にも、個人的に好きなのは『蜜柑』『魔術』です。

『蜜柑』は、電車で向かいに座った汚らしい女の子に嫌悪を抱いていた男の心情の変化が自然に描かれていて、美しいと思いました。

『魔術』は、人間の欲深さを描いた作品です。最後に王様(キング)が言葉を話し、現実に戻ってくる場面が印象的でした。

最後に『トロッコ』の話をさせてください。私の記憶の中で『トロッコ』という作品は、青春ストーリーとして残っていました。しかし、読み返してみて、全然青春じゃなくて、驚くとともに苦笑。

土工2人から「帰んな」と言われた場面は、絶望しかないですよね。最初の楽しかった気持ちはどこへやら、まさに天国から地獄

もらった菓子も下駄も捨てて必死に走って帰る姿は、恐怖とか心細さとか、そういうもの以外に、胸に迫るものがあります。読む者が「大人」だから感じる、漠然とした何かが、あるのです。

私は、小説の再読はほとんどしないのですが、年を重ねた「いまの私」が読むからこそ感じられるものがあるので、再読もいいものだと思いました。

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